2010年3月30日火曜日

浅田真央という美




フィギアはおろか、スケートという競技すら、まったく判らない。

しかし、浅田真央の演技には魅了されてしまう。

彼女の演技は、他の選手とは全く違うからだ。

浅田真央は、リンク上に彼女を中心とした別世界を創り出している。

それがフィギアという競技として、どうなのかは知らない。

ただ間違いなく、そこには美がある。

それも人智を越えた、なにか怖いような美しさだ。




その美しさの正体を、判るように説明してくれるメディアが無い。

馬鹿げたライバル話か、愚にもつかない技術論ばかりだ。

仕方ないので、自分なりに考えてみた。




まず、音楽と一体になった流れるような動きや、軽快なステップに魅了される。

まるで音楽そのものが、人の体を借りて踊っているようだ。

表情から指先まで、すべてが音楽になっている。

これでなお、表現力が足りないという人の感性が、私にはどうしても理解出来ない。




しかし、なにより惹きつけられるのは、困難なジャップする直前だ。

スピードにのりながら背筋を伸ばし、進行方向へやや首をねじる。

ジャンプのタイミングを待っている、その瞬間だ。

それはまるで時が止まったかのような、神々しい一瞬。




そのジャンプは、彼女だけが挑む。

しかし、大きなリスクの割に採点上のメリットは少ないという。

それでも、彼女は飛ぶ。

点数などではなく、より高きものの為にだ。




ここで唐突だが、ふと、弟橘媛を思い出してしまう。

大和尊の為に、荒れ狂う海へ身を沈めた弟橘媛だ。

恐ろしい海神に身を捧げる時、彼女は涼やかな顔をしていたに違いない。

なぜなら弟橘媛には、より貴いものの為に命を捧げる覚悟があったからだ。

それは、相模の野で火攻めに合った時に我が身を案じてくれた、夫の真心に報いるという気高い思いだ。




困難なジャンプの直前に見せる浅田真央の一瞬の静寂にも、同じような気高さが満ちている。

力むでも無く、怯れるでも無く、氷のような冷静さで次の瞬間を見据えている、その表情。

より高いものの為に、自らを顧みない透き通った心が菩薩の顔となって現れる。

私を魅了してやまないのは、この一瞬の空気と彼女の表情だ。




そして次の瞬間、彼女は空を舞う。

強く、早く、華麗に…。

見事に着地を決めても、まるで何事も無かったように音楽の化身は踊り続ける。

それはもはや、人とも思えぬほどの美しさだ。







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